比較を行うには条件を統制することが求められる。他の要因の影響を排除して比較しなければ原因と結果の間にある関係を明らかにできないからである。しかしながら,そうでない比較がなされることがある。その最たる例は他人と比較することである。主旨/趣旨は,他人と比較することはやめようということだが,これは自分自身が他者との比較を通じて不足を指摘されたことであらためて気づいたことである。
人間にはそれぞれ特性があり,これは物事を進める中でもあらわれうる。大恩師の言葉を借りれば,「自分の性格に合った学術的検討の在り方に違いがある。お喋りからのイマジネーションを生み出す人がいれば、一人でじっと思索することが得意な人もいる」のである。少なくとも時間をかけても人並みに物事を成し遂げられない自分からすれば,他者と物事の進め方を比較することにどれほどの意味があるのかわからない。進め方が人によって違う以上,その進み方も異なるべきである。
また人間には各自が抱える事情があり,これも物事を進める中で影響を与える。例えば各自に与えられる1日は24時間で平等だが,可処分時間までは平等ではない。例えば,自身で炊事洗濯といった生活を全て営み,食い扶持を得るための活動を行って残された時間の中で何かを成さねばならない人間がいれば,もう一方には炊事洗濯は他の者の協力を得ることができ,金銭的余裕を背景にさらなる可処分時間の拡大を実現できる人間もいるのである。このような前提となる条件が統制されていない中で比較を行うことにどのような意味があるのだろうか。
もちろん物事には締切があり,いつまでも時間をかけることはできないことは理解している。しかしこの点は,他者と比較してその不足を指摘することに意味を与えないだろう。
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